ワークショップ形式で昨日に引き続き分科会。今日は精神面や、会の運営についてのワークショップ。
Positive exposure
The spirit of difference
遺伝的な違いが、多様性と美しさをつくりだす、ということをテーマに 写真と撮っている写真家(Rick guiotti)とのワークショップ。写真家は現在Positive
exposureというプロジェクトを進めています。このプロジェクトは、人々が「違い」に対して持っている「差別意識」を「多様性」へと変化させることを目的に、世界中の遺伝子疾患をもつ人たちのいきいきとした表情を撮影し続けています。この写真家は会期中、
参加者のポートレートを撮影し、最終日に販売し利益をNMFに寄付しました。 このワークショップには20人ほど参加していましたが、皆真剣な表情で語り合っていました。
またこのワークショップに一緒に参加していた研究者(Diane McLean)は、医学書の中の患者の写真が、とても醜くて、一人ひとりを 尊重していないことに憤りをおぼえ、「もっと一人ひとりの個性や美しさを表現した写真が医学書に載っていても良いのではないか」と、写真家に持ちかけたそうで、現在、すべての写真がRickさんによって撮影された医学書を製作中とのことです。(古藤)
参加者の発言
*人は、一人ひとり異なるということを、医学部の1年生、遺伝カウンセラー、 教師など、それぞれの職務の非常に初期段階で、教え、トレーニングしていって
ほしい。教師の社会化が絶対に必要である。
*ベルギー20代前半マルファン女性
私の国では、みんなが私のことをみて「すっごくやせているね」と言う。 その時私は、自分がマルファンでそれがどんな病気なのかはっきり説明する。 自分で自分のことを受け入れているから出来ることだと思う。
(参加者から拍手)
*テレビやファッションの世界での美の概念は、とても狭いと思う。 モデルだけが美しいわけではないと、伝えていくことはすばらしい。
*外見は関係なく、中身が問題なのでは?
*医療関係者には、患者も一人の人であると認識してほしい
「医療関係者をどう教育していくか」というワークショップ
*医学誌などで、マルファンについてアナウンスしている
*マルファンの各症状について一年に一つは必ず、学会でブース展示している。 (目、小児、整形、などなど)
*ブース展示は、ただポスター展示するだけではなく、医療関係者と コネクションを作る非常に良いチャンスである。そのため、ボランティアは、 マルファンについて、NMFについて、熟知している必要が有り、積極的に
声かけをしてもらっている。ERにマルファンが登場するきっかけも、この ポスター展示から始まった。いかに重要な活動なのか、分かると思う。
患者同士のカウンセリング方法を学ぶワークショップ
電話での問い合わせに対応する時の注意点を学ぶ。 聴く姿勢に徹すること、判断しないこと。
「NMFでは、いかなる医療機関や治療法も推奨してはいません。」と 前置きしてから、地域の医師の名前をあげる。
循環器内科での検査も必要だが、まずは「一人の人間として身体全体を」 診る医師を紹介すること。その意味では遺伝医を勧めるのが適切。
7歳〜12歳のこどものためのワークショップ
14名ほど のワークショップにはマルファンではない兄弟も参加していました。カウンセラーの かたもやはりマルファン当事者でした。
マルファンについて感じていること(いいところ いやなところ)を一人一人に聞いてました。子供たちは背の高いことはいいイメージとして捉えてはいるようですが、
実年齢よりも上に見られてしまうことが 困るとも話していました。 同じく兄弟の立場で ”自分は いつも下に見られるんだ”と ぼやいてる子もいましたよ。
この年代で自分の状況を把握している子は少なそうでしたが、 それでも2人の女の子はしっかりと自分の状況を伝えていました。薬を服用して いたのは5人ぐらいでした。その後質問タイムで1時間ほどのワークショップの後
子供科学館へ水上タクシーで出かけました。
このワークショップのためのボランティアに4人ほど同行してくれましたが この方 たちはマルファンとは全く関係のない方たちのようで 他にも小さな赤ちゃんを預か
ってくれる方たちもいて その部屋では寝袋や離乳食やらおもちゃやらですごかったです。なかでも ローラースケートに乗っている子達に会ったときには びっくりでした。アメリカは ほんとにボランティアが特別なことではないのね〜と
思いました。とてもいい感じでした。
他に12歳から17歳ぐらいのグループもあり 一緒に出かけたりして ものすっごく楽しそうでした
その後 水上タクシーにて メリーランド サイエンスセンターへ!!
IMAX Film: space Station
この映画は 3Dの、スペースシャトル内での様子や 発射の様子を 写した 45分ほどのもので 迫力充分でした。 サイエンスセンター内で ピーナッツバターサンドイッチの昼食をいただいて セン
ター内をゆっくりと散策・・・
皆 暑い中大変でしたが、同行してくださったボランティアの方たちが 水分の補給には 気を配ってくださり、各自1本づつのエビアンを 渡され あまりの暑さに頭からかぶる子もいました!!
女のこなんかは 住所を教えあったりして わずかな時間で すっかり仲良くなってゆく姿を見て とっても 嬉しく思うのでした。
アメリカの方は 対外的なアピールの仕方がほんと上手ですね。 会では Tシャツやビデオなども積極的に販売していました。 会場ではPR用のビデオが流されていて 15年の集大成を存分に見せていただきま
した。(のびたの母)
表彰
NMFの地域での活動に関する功労者の表彰
体験談
MFで50代の女性がどうしたらマルファンを受け入れ生きる事ができるかについて講演。
「マルファンだと分かったとき、なぜ私が?ととても落ち込みました。だけど、総会にきて、わたしと同じ足首、同じひじ、同じ指を持ち、歩いている人の後ろ姿を見たとき、その人の身体が自分の身体と同じっ!と感じ、とっても愛おしく、抱きしめたい衝動にかられました。マルファンとして生きていく中には、手術する時期、元気な時期、いろいろあります。手術の後は閉じているけど、元気なときはオープン。そういう波を受け入れて生きていきましょう。こうやって、この場で、マルファンでなければ出会えなかった人たちと会えた、本当にマルファンで良かったと思える瞬間です。」
遺伝の輪
閉会式の会場で子供達がチェーン(遺伝子をイメージ)をもって輪に。 「私達を繋ぐ遺伝子の輪です」

(最後に国際マルファン組織連盟で記念撮影。カナダ、フランス、ベルギー、日本、シリア、ベネズエラ、スイスのメンバー)
スイスから参加した20代マルファン当事者からの感想
残念なことに、僕の英語力不足のせいで、医学講演の内容は、殆ど理解できなかった。
でも、世界中の色んな国からやってきた人たちと会うことが出来て、 すっごく楽しかった。家に帰ってきて「マルファンで良かったな。そうじゃなければ 参加したみんなに
会うこともできなかっただろうから」って思った。 家に帰ってすぐに眠って、次の日の朝起きたら11時だったよ。
霜崎洋子さん
6月に、夏にシカゴで開催予定のNMF第19回年次大会の案内が送られてきました。早いもので昨年参加したボルチモアでの18回大会から一年が経とうとしています。
私にとって特別な経験でした。大会前夜、ホテルのロビーでサンディアゴから来たという参加者に会って互いに自己紹介しました。ひと目で仲間だと分かりとても親近感を覚えました。人種に関係なくというのが本当だと納得したものです。500人近い参加者がありましたが、患者本人、家族、医療従事者、ボランティアとそれぞれ立場は違っても、「マルファン」をキーワードに、特別な連帯感を持って四日間を過ごすことができたと確信しています。とてもよく工夫されたプログラムで、華やかなgala(開会とマルファンクリニックの功労授賞の式典)、専門医による医事講演の数々(一部、要約を載せました)、それぞれの関心事に焦点を合わせたワークショップ、夜にはお茶とケーキで、楽しい出し物や歌を交えた交流会、最終日はお互いが前向きにマルファンと向き合って行くことを確認しあい、参加者全員が力づけられたランチョンパーティー。今、思い返しても本当に盛りだくさんの内容でした。今回は4年に一度という国際大会の開催年で、様々な国際メンバーが参加していました。多くはヨーロッパからの参加でしたが用意されたブースで各国の取り組みが紹介され、互いに意見を交換する場もありました。4年後はベルギーでの開催になりそうです。今回、初めて参加したのですが、NMFのネットワークが印象的でした。ジョンズ・ホプキンス大学のマルファンクリニックという力強い協力を得て、その活動は組織立って、幅広く、ボランティアも巻き込んだ裾野の広がりには圧倒されました。去年の4月にMNJに入会し、総会で初めて家族以外のマルファンの仲間に会い、それから数ヶ月後、世界のマルファンの仲間に出会い、また、マルファンクリニックで臨床、研究のために働くドクターにお目にかかり、話しをする機会を得られたことは私の世界を広げてくれるものでした。患者でありつつ、自分が役に立てる場を持つことの必要性。アメリカでの大会に参加してその思いを強くしました。
岡本左和子さん(1995年より4年半、ジョンズ・ホプキンス病院国際部にて日本人 ペイシェント・ コーティネーターとして勤務。年間380件ほどの症例を担当し、患
者さんと医師、病 院、日本の調査団や弁公開のコーティネートと通訳・翻訳者とし て働く/2000年には アジア地域のマネージャーも担当・現在は、医療関係の翻訳・
通訳を中心に、フリー ランスで、日米間のコミュニケーション・コーディネーター をしている。)
7月31日〜8月3日までメリーランド州ボルチモア市で開催された、NMFとIMSOの合同 会議に出席しました。ジョンズ・ホプキンス大学で5年弱、ペイシェント・コーディ
ネーターをしていたこともあり、『患者』と『医師または医療従事者』のかかわりあ い方やコミュニケーションの取り方に興味を持っていますので、今回は非常に良い経
験となりました。
常々、患者、医師、その他医療関係者又は病院、政策決定者(厚生労働省など)それ ぞれに役割と責任があり、どれが欠けてもいい医療体制と整えられないし、患者は満
足のいく医療を受けることはできないと考えています。医療のターゲットは『疾患・ 病気』の治癒治療・(治らない場合には)そのコントロールになり、それに向かって
患者、医師、その他医療関係者、行政がチームとして取り組むというのが本来の姿勢 だと思っています。この度はそれを実感するとともに、NMFまたはIMSOが苦労しながら着実にシステムを整え、それぞれの役割分担を遂行していることには感銘すら覚え
ました。
「責任と役割」というのも、「疾患・病気」に対するもので、だれかに押し付けた り、頼ったりすることではありません。ただ、患者一人一人ではなかなかうまく情報
も取れない、それをどのように処理して自分なりの判断をくだすのかなど、「患者」 としての責任・役割分担を果たすために悩むようなことがあります。それに対してで
きうる各専門分野のサポートを提供し、それをシステム化してさらに良くしていこう という姿勢と実行力には学ぶものがたくさんありました。いいところをうまく取り入
れて、日本独自のいい医療体制と患者のサポート体制ができるといいと思います。
古藤雅代さん
今回アメリカと世界の最新の動きを、ざーっと、肌で感じて、頭がくらくらしている、と いうのが正直なところです。 アメリカは、活動も18年で、とても進んでいるんですが、運営上かかえている問題は
日本と似ているところも多くありました。そういう小さな問題点を、一つ一つ解決し て今があるように思います。あとは、会場で功労者を表彰したり、みんなで盛り上が
ったり、というところはとても上手ですね。
次回の国際マルファン学会は2005年ベルギーです。ベルギーの会長さんは、10年 前にご主人をマルファンで亡くされ、3人息子の末っ子のマルファンの子と一緒に参加していました。「わたしたちもここまで来るのに10年かかったのよ、2年だったら、まだまだ」って励ましてくれました。
アメリカでも、国中どこの医者もマルファンに詳しいわけではなく、今回表彰された 先生が多くいて50年以上マルファンを研究しているジョンズホプキンズ大学が、世界
をリードしていました。
今回「マルファンの結合組織を強くする薬を開発中で、10年以内に実用化されるだろ う」といった発表をされた先生がいました。 この講演のあとNMF創設者のプリシラさんと話しました。「マルファンの研究が、こんなところまで進化しているなんて、感動しました。光が見えてきたわ。」
いままで「どうして、こんなに珍しい病気に、よりによって私が・・・」という気持ちがありましたが、それが全く無くなりました。 全米から500人以上の参加者、ヨーロッパなどからも多くの人が集まっていたからだと思います。
あとは、50年以上にわたって、マルファンの治療に尽力し続けている病院があり、日々マルファン研究に捧げている研究者の先生方もいらっしゃって、現在も、すごいスピードで治療方法が研究されていることを知り、とっても大き
な希望を持つことが出来ました。将来マルファンの人たちは、もっともっと元気に長生きすることが出来るようになるだろうし、子供たちの世代に至っては、本当にマルファンを克服することができるように
なるだろうと、実感できました。
会議前、世界のマルファン最新道をいくジョンズホプキンズでマルファンクリニックが 行われました。アメリカの場合、事務局への問い合わせの15%が「検診を受けたいけど、保険に入っていないからどうしよう」というものだそうです。このマルファン
クリニックは、そういう人たちに対して、無料で行われました。エルサルバドル、シ リアから参加したメンバーも無料で診察を受けたそうです。(わたしも受けるんだっ
た!)また、総会で講演したり、ワークショップに出ていた先生がた、ホテル代交通 費のみで、すべてボランティアだったそうです。アメリカの良いところを沢山見てこれて、大満足の4日間でした。ありがとうございました。
表紙 1日目 2日目 3日目 最終日
Q &
A
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