マルファン ネットワーク ジャパン

小児慢性疾患を考える3

(3)プログラム中盤から後半

親の会のアピール発表の後に、パネルディスカッションに入りましたが、始めに各パネラーの自己紹介をかねた意見発表がありました。
最初に発言された、竹内公一(胆道閉鎖症の子供を守る会副代表)氏は、胆道閉鎖症の簡単な説明と親の会の立場から、アピールの内容を盛り込んだ「難病基本法」ともいうべきものの制定が急がれるというご意見を発表していました。また、日本の法律ではドナーからの臓器移植は15歳以上でないといけないそうで、この年齢の引き下げも求めておられました。
次の、長谷川雅子(XPヒマワリの会/色素性乾皮症)氏と、3番手の堀越晶子(つくしの会/軟骨無形成症)氏からも、親の会を代表する立場から、それぞれの病気の簡単な説明と、子供たちが現実にどのような生活を送っているかという説明があり、アピールの内容をふまえた小慢の継続及び法制化を訴えておられました。
特に長谷川氏は色素性乾皮症(紫外線から自分の身を守ることができない病気)にかかっているご自分の娘さんや会のお子さんたちのスライドを上映しながら、紫外線カット用のさまざまなグッズを車椅子のような「補助具」に指定して欲しいと訴えておられました。

また、堀越氏は小児慢性疾患は18歳が過ぎれば治るというものではないので、18歳で打ちきる現在の制度でいいのだろうかという問題提起をされていました。
なお、堀越氏は最後に
日本国憲法 第25条【生存権、国の生存権保障義務】

  1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
  2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
    と日本国憲法第25条を朗読し、小慢の継続・法制化は国の義務であると結んでおられました。

次に、二瓶健次(国立小児病院神経科医長、難病のこども支援全国ネットワーク監事)氏は、医療現場で直接患者と接する医療者として、それぞれの病気と向き合い治療を行なっています。また、患者や家族の困っている様子を見ると、どうにかして小慢の指定を受けられようにしてあげたいと思えてきて、あの手この手を使っているということで、申請書に関するオフレコ級の秘話も披露しておられました。そして、小慢の指定疾患が細分化され過ぎているので、「小児」で「慢性疾患」だったらみんな対象にするべきだとか、医療保障だけでなく個人の生活全般をサポートするべきだといった提案をされていました。また、現在の小児病棟は小児時代から引き続いて成人しても診療している患者さんが多いので「高齢化」が進んでいる。この状況からも、成人すれば打ち切られる「小慢」の制度を改善する必要があると結んでおられました。


次の、武田鉄郎(国立特殊教育総合研究所病弱教育研究部主任研究官)氏は、文部科学省の技官という立場で、このアピールを検討していくということでしたが、次年度以降の新しい教育の在り方として、インクルージョン・インテグレーションという考え方を導入するという説明がありました。これは、病弱児や障害児が地域の学校で学び、地域全体で育んでいくためのものだということでした。病弱児や障害児と健常児がいっしょに学校に通う中で、病弱児や障害児の学力が保証され、みんなの優しさが育つということです。一方、ほとんどマンツーマンに近い養護学校での養護教育の良さも強調されておりました。また、病院の中に教育の場を作り、長期療養の場合は学籍を移動する。そうした措置によって病弱児や障害児の受けられる教育の選択肢を増やすということも導入する。ということでした。そして、私たちにも大いに関連がありますが、今までは体育の授業を見学しているとそれだけで成績簿に1がついていたのですが、そうした相対評価から、絶対評価に切り替え、見学児童の場合別な評価の仕方を行うことが導入されるということでした。

最後になった、谷口 隆(厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課長)氏は、厚生労働省からは私だけの出席で、今日のフォーラムの矛先は私になりそうなのでお手柔らかにお願いします。とおっしゃった後、小慢の現状での役割は、医療研究・家庭の負担軽減とあるが、現在患者側に、学籍移動など学校教育の問題、成人後の就労の問題などの心理的負担の軽減、また在宅医療をどう進めるかといった新たなニーズが発生して来ている。このへんを含めて安定的なものにしていくためにはどうしたらいいか、検討会での参考になるご意見をいただきたいと発表しておられました。

この後、討論になりましたが、谷口氏が予測しておられたとおり谷口氏に対する質問やお願いが圧倒的でした。
一番始めに、若い女性(20歳台の後半位かな?)の患者(小慢対象だった)さんが発言されましたが、「いつも役人は「検討会」と称して具体策を出さずに「検討」ばかりしているけど、「検討」している時間の中で多くの子供たちが死を迎えているけど、このへんはどのように考えているのですか?、民間には色々な力や資格(カウンセラーなど)を持った方が大勢いらっしゃるわけだから、その力をお借りして「心理的負担の軽減」などにすぐ着手できないのですか?」という趣旨の質問を武田氏と谷口氏にしたため、会場は一瞬緊張しました。彼女は、この質問の中で自分の生い立ちにもふれて、「病院のベットにくくりつけられていた生活だったので、できることといえば、マンガを書くことと勉強することだけだった、おかげで、教員免許とかさまざまな資格を取ることができ、今それを生かして、患者さんや家族の方たちへのコンサルタントをしている。」と語っておられました。この質問に対して、色々な事柄を長くお話しして下さった両氏には申し訳ないのですが、武田氏と谷口氏の回答は、的確性と具体性に欠けたものでした。彼女はなおも質問を続けようとしていましたが、座長は「多くの人の意見を聞きたいので、他の方に」と言って他の方を指名していきました。

その後、患者会のお母さんや、学校の先生、看護婦さん、新聞記者などおよそ10名くらいの方が質問や要望を出しておられました。主な発言の要約を列記します。

Q「対象疾患を増やしてほしい。」、
A「新しい疾患を対象とするには、その疾患の医療的規模を検討した上でのことになる。」


Q「教育委員会と、学校の先生、医師の3者が協力して一人の子供に当たる体制を作って欲しい。」、
A「これは最も望ましいことです。」


Q「入院時の学籍の移動は無くせないか。現状では校長先生の善意で行政区が違う地域の病院に入院した児童に先生が出張していた例があるが、ほとんどの場合学籍の移動がされていて不便だ。」、
A「学籍の移動は、その子の教育に責任を持つためのもの、出席できる学籍に移動する。」


Q「ぜひ小慢を法制化して欲しい。」、
A「検討会で早く結論を出すようにします。今の段階では現行の100億円から増えるのか減るのかも解らない。」


Q「心臓病など特に深刻なものは、20歳を越しても保証できないか?」、
A「・・・・・」


Q「地方に住んでいる場合など、遠くの病院に入院した場合、保護者の交通費や宿泊費など大きな負担となるがその費用は保証できないか?」、
A「・・・・・」


Q「小慢など子供の医療のあり方は、この国の将来を担う子供の教育の問題としてとらえるが、国はどう考えているのか」、
A「21世紀の特殊教育の在り方について検討を始めている。」


Q「学校、医療者、父母、児童のよりよい関係を作るにはどうしたらいいか?」、
A「担当医と父母(本人も同席させて)がよく話し合う。父母が担当医を信頼していないと本人も信頼しない。これは学校でも同じ、父母が担任の先生を信頼していないと、本人も信頼しない」「これから、病弱児や障害児を受け持つ学校は、学校の中に生徒や保護者・先生が参加する特別な委員会を作る。委員会づくりは、プライバシーの保護の問題もあるので難しいと思われる。保護者と先生(教師・医師)の関係がうまくいっていないと子供に悪影響が出るので、話し合いを多くもつようにする。」

色々な立場の方たちから活発に意見が出され、すでに終了時間を20分くらいオーバーしていて、座長が終了の宣言をしようとしていた時に、一番最初に発言された女性が、挙手をしていて「私は患者です、発言させて下さい。」と声を掛けてきました。

座長が「それでは手短にお願いします。」と言って、彼女にマイクがわたされ、はじめのうちは要望事項などを仰っていましたが、最後に「(患者である)子供たちは自分が(ああして欲しい、こうして欲しい・・・と)モノを言うことは悪いことだと思っているのです。自分はただでさえ迷惑をかけているのだから、これ以上言っちゃいけない。だからみんな黙っています。私も子供の時そう思っていました。」

心ある人の胸には突き刺さったであろうと思われるこの言葉で、パネルディスカッションが締めくくられました。
そして最後に、小林信秋専務理事が有意義に終わったフォーラム全体のまとめをして終了しました。

3、私の感想

この報告の最後に、若干私の感想を付記しておきます。
MNJは患者会です。マルファン症候群に関する正確でタイムリーな情報を収集し、みなさんにお知らせすることを第一の目的としています。会員はマルファン症候群患者が中心です。
しかし、同時に、マルファン症候群患者の子供を育てていらっしゃる方も大勢いらっしゃいます。そして、MNJは今年ちょっとしたベビーブームで、3人のおめでたがありました。(このお子さんたちがマルファンと診断されているわけではありません)そして、結婚をなさった方もいらっしゃいます。また、これから結婚をして次の時代を生きる命を生み出す可能性のある方がたくさんいらっしゃいます。
また、まだMNJと出会っていないけど、これから出会うであろう小さなマルファン患者が大勢いらっしゃいます。
MNJは、マルファン症候群の子供たちのことや子供たちを取り巻く環境のことをしっかり考えていくべきではないでしょうか?
しかし、マルファン症候群を「難病」としてとらえ、「小慢」や「特定疾患治療研究」の対象疾患に指定してもらうようはたらききかけるとか、はたらきかけないといった問題は、もっともっと私たちの中で話し合った上でのことですから、まだまだ先の話だと思います。

「子供たちは自分がモノを言うことは悪いことだと思っているのです。だからみんな黙っています。私も子供の時そう思っていました。」
この言葉は、MNJの会員なら心当たりがあると思います。私たちは、子供心にも母親に心配を掛けまいとして自分の身体の変調を訴えずにいてかえって悪化させてしまったというような経験があったのではないでしょうか?遺伝の病気だと知ってからは、その思いが一層つのったのではないでしょうか?
私は、この言葉の中に日本の人権意識が凝縮されていると思いました。

病気を持って生まれたことは悪いこと?。
障害があることは恥ずかしいこと?。
病気や障害がある人は社会のじゃま者?。

日本が世界中を相手に戦争していた1940年代、兵隊として連れて行かれる若い人達を、体力の違いでランク付けし、病気や障害があって兵隊として使えない人を「非国民」(若い方にはこの言葉のニュアンスが理解できないかも知れませんね)といってさげすみました。戦争が終わって民主国家になったのに、「健全な肉体に、健全な精神が宿る」といった言葉が義務教育の教科書の上を踊っていた時期もあります。まだ私たちの意識の底に、このような考え方が残っているのではないでしょうか。

5年程前に、私の住んでいる市の事業で北欧の福祉行政を視察に行ったことがあったのですが、その時渡された資料の中に
「障害とは各個人に属する特性ではなく、個人とその個人を取り巻く環境が接する際に生じる問題である。」(引用:Fact Sheets on Sweden/スウェーデンの障害者政策/障害とは、スウェーデン文化交流協会:1994年発行)
と書いてありました。障害は個人的な問題ではなく、個人と社会が接するときに発生する社会全体の問題であり、社会全体で障害を取り除かなければいけないんだと言っているわけです。もちろん障害は「悪」でも「恥」でもありません。ノーマライゼーションも、バリアフリーもこの概念が根底になければいけません。
スウェーデンは、こうした概念をいち早く取り入れて福祉国家としての道を歩んできました。
今回のアピールの「はじめに」の部分で、「いわゆる「健常児」に対する以上に、社会からのきめ細かな配慮が必要となるのは当然のことと言えましょう。」と言いきっています。そして、続く文章では私たちの人権意識の立ち遅れを指摘し、私たちに対して人権意識を高めることを求めています。

このアピールに書かれていることは、自分の子供時代のことを思い出したり、今、学校に通っている子供たちのことを考えてみると、深い実感を伴ってうなずけることばかりだと思います。
このアピールを、より多くの人に知ってもらいたい。
日本に住む全ての方に読んでもらいたい。
次世代のマルファンたちと、全ての日本人のために。

文責 新野秀幸



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