参加者の自己紹介をご紹介します。ただし、プライバシーに配慮し、氏名などは省略しています。
- マルファン・ネットワークの方には10月の終わり頃に登録させていただきました。3人の娘がいて、真ん中の子供がマルファンです。今日、家内と本人(7歳の娘さん)は連れてこれませんでした。
総会に来た目的は、まず私は愛知県に住んでいるのですが、愛知県内でマルファンの人と会ったことがありません。今日はこうして、皆さんにいろいろ話を聞きたいと思っています。
現在、子供は小学校1年です。小学生に入る前にマルファンの疑いがあるということで、大学病院に診てもらった程度で、特に治療を受けているわけではありません。インターネットで「マルファン」で検索すると、このHPに出会い、調べていくうちにいろいろ不安になってきました。今後どういう治療を受けなければいけないのか、どういう治療方法があるのかなどを聞きたいと思っています。そして、皆さんと情報を一緒に共有したいと思います。
- 大阪府出身です。小さい頃からマルファンと知っていたのですが、今年、大阪の医大で、妊娠中に大動脈がかいりするまで、循環器系の疾患があるとは知りませんでした。今日来たのは、自分もいずれ手術するであろうし、この中にすでに手術された方もおられると思うので、いろいろお話が聞けたらと思ってです。よろしくお願いします。
- 和歌山で生まれました。今日は、京都から来ました。MNJは、私の弟が積極的に関わっているので、私は横でゆっくりさせてもらっています。今日は、みんなの顔を見る目的で来ました。
- マルファンの妻です。医療関係で仕事しています。インターネットとインターネット環境にない人とで話しが融合できればいいなぁと思って、今日は参加しました。
- 子供が生まれたときから、マルファン症候群と言われていました。マルファンというものが、どういうものかわからず、ずっと時間が経ってしまいました。現在子供は、地元の養護学校に通っています。今日は、何一つ具体的なことがわかっていないので、どういう症状が出るものなのか、その辺のところを皆さんに聞きに来ました。
- 東京から車で来ました。インターネットの方では、メーリングリストの方で昨年11月頃に入っていました。(ホームページの)マルファンクラブには個人的な理由から登録していません。何故かというと、皆さんのいろいろな症状や治療経験を聞いているうちに、不安が増大されていくのが怖くなったからです。何度も入院していたのですが、マルファンの人には一度も会ったことがないので、もう一度初心に戻って皆さんの意見を聞きたいと思います。
- 昨年11月にMLに入りました。東京・名古屋で一部の人たちと顔は合わせたことがあります。皆さんの顔を見るのが楽しみで参加しました。
- 私の場合には、骨格意外に目立った症状がでていません。私の父がマルファンが原因とも思われるもので他界しています。古藤さんのHPに出会って、現在に至っています。
- マルファンの妻です。私たちも結婚して1年が経ったので、子供の問題が出てくるようになりました。マルファンだけに限ったことではないのですが、親になるということはどういうことなのか、皆さん(子供いる親の)の意見を聞きたいと思っています。
- 大勢の人の前でしゃべるのは、あがり症なので、うまく言えませんがすみません。これまで計4回手術した結果、大動脈弁に関しては弁置換、血管に関しては全置換を行っています。HPのメンバーが大幅に増えたので、交流の意味もかねて来させてもらいました。
- 私は、マルファン症候群を持つ子供の母親として参加させてもらいました。うちの息子の場合も3歳のときに目の障害で、マルファン症候群と診断されたのが始まりです。3歳というと、もう彼是30年も前のことで、その当時はお医者さんが読むような専門誌しかなかったので、何も知らなかった。情報は圧倒的に少ない時代でした。ですので、てっきり私は目の障害かと思っていました。私もいろいろ交流したかったので、障害者の診療所で治療してきました。それで6年前、大動脈がもう破裂寸前の手前というところで手術しました。新聞の記事で、マルファン症候群は、宝くじに当たったようなものと書いてありました。胸痛を起こした7年余り前には、病院からは何も問題ないと言われたが、結果的には去年の暮れまでに大動脈血管の全置換を行っています。
- 娘が3歳の時に、目の検査でマルファン症候群だと聞かされました。今日参加した目的は、家内と娘に同じ症状を持った人たちと早い段階から交流を深めていくというのが目的です。
- 大阪から来ました。27歳です。21歳のときに、大動脈弁置換をしました。
- この中でわたしが一番最年長ではないかと思います。今年2月にインターネットでMNJを初めて知りました。いろいろなことを読んでいくうちに、症状が非常に似ているので自分はマルファンではないかと思いました。田舎では情報が乏しく、今日は総会ということで、皆さんと一緒に話を聞かせていただきたいと思います。皆さんに会えたことが嬉しいです。
- 自己弁を温存する形で、人工血管を埋め込んでいます。ワーファリンは飲んでおらず、検査も年1回程度です。HPを知るまでは、ものすごく不安だったのですが、このHPに出会ってからは不安は解消しました。時々、大阪国立循環器病院のお話が出るが、私は地方にいるのでなかなか出て行く機会がありません。私たちの地域にも良い病院がたくさんとあると思うので、地域にもちゃんとした病院があることを伝えに来ました。ご家族の方もたくさんいらっしゃるので、何か役に立ちたいと思っています。
- 今まで手術は7回しています。自分が深刻なのは「水晶体偏位」です。右眼はほとんど見えていません。また弟は「水晶体偏位」が誘因で両眼とも「網膜剥離」をおこし、失明しました。このような状態ですので、近いうちに水晶体を摘出する予定です。そんな自分以外のマルファン症候群の方が、どのように社会に参加されているのか、生活しているのか知りたくて来ました。ちなみに今、静脈瘤の手術をしていて、今日は外泊参加です。退院は25日です。
- 私たちも何もわからなくて、何も情報がないところからスタートしました。マルファン症候群は、一万人に一人ぐらいだという情報であったり、不確かなものばかりでした。昨年の暮れに思いついて、「マルファン」で検索したら、古藤さんのHPに出会いました。
- 私たちの子供は、保育園の時からちょっと様子が違っていて、目がよく見えてないみたいでした。2歳のときに水晶体のズレが認めらると眼科に言われました。6歳ぐらいまでに手術しないと駄目だといわれました。5歳の時に両目の水晶体を取りました。心臓の方は弁輪が拡大していて、年に2mm程度ずつ拡張しているということをお医者さんに聞かされました。でも、手術すれば何とかなるということを知って、安心しました。あと、学校で分厚いメガネを掛けていることや、痩せてて背が高いということで、学校でよく言われていないこともあって、少し内弁慶になっています。早いうちから、皆さんと交流させて慣れさせたいと思っています。
- 父と二人で来ました。マルファン症候群というのは、世間から変わった病気、特別なものなんだよということ、また20歳まで生きれないんだよと聞かされながら育ってきました。父以外のマルファンと出会ったことが無く、こうして皆さんに会うことで前向きになってきました。その中で、次世代のマルファンの子どもに情報を提供していきたいと思っています。
- 私は現在山形県に住んでいます。私自身、生まれつき右耳が奇形で全然聞こえていませんでした。中学校のときにメガネをかけたんですが、そのとき腰の皮を移植して、メガネを掛けれるようにしたのが最初の手術でした。マルファン症候群の自覚は子供達の病気からです。4人の子供のうち3人が側湾湾です。毎日体操したりしていました。日常の生活は何とかできました。私自身が4年前に倒れたのが、マルファンを自覚するはじまりでした。ドックで血液の逆流が認められました。逆流が早くなってきたので、上行大動脈3本全部と下行大動脈を人工血管に変えました。大動脈弁も人工弁です。現在、腹部の大動脈が通常の倍近くなっていて、現在その経過を観察しているところです。
- 私自身はマルファン症候群ではありません。私の子供が目が悪く、病院でマルファン症候群と聞きました。病院の先生にいろいろ聞いて、インターネットで情報が出ている情報を掴んだので、HP(古藤さんのHP)を読んでみると、非常に恐ろしい情報が書いてあって不安になりました。それで、マルファンの人に実際に会って話を聞きに来ました。本当に何も知らないので、よろしくお願いします。
- 兄がマルファン症候群で死んでいます。それがきっかけで診察させられたのが始まりです。マルファンなのに、太っているのが悩みです。また、こういう交流が好きなので来ました。