マルファン ネットワーク ジャパン
マルファン症候群についてのQ&A
Q-03
「「血管の病気」(岩波新書)の平均寿命”30歳”という記載について>著者 田邊達三先生」
岩波新書「血管の病気」著者 田邊 達三 先生
この本のマルファン症候群の項の149ページに記載されております「平均年齢は30歳前後・・・」の記述についてお伺いします。この「平均年齢」の解釈ならびに、算出の根拠もしくは参考文献等について御教えいただけませんでしょうか?
注1:田邊達三 著 岩波新書 血管の病気 p149
に、「平均年齢は三十歳前後と言われ、大半は心臓血管の病気で亡くなる」と記載されています。

A-03
岩波書店に送られました貴方様の御書状を拝受致しました.
 拙著「血管の病気」を御購読下され、とくにマルファン症候群につきまして御質問を頂きましたこと、有り難く御礼を申し上げます.生命予後の記載について会員内で議論がまき起こったとの御指摘を頂き、恐縮致しますとともに、この点につきまして参考文献を付して説明とともに回答をさせて頂きます.
 本文 149 頁に述べられていますマルファン症候群の生命予後につきましては、The New England Journal Of Medicine に 1972 年に掲載された J.L.Murdoch(文献1)のものを引用しました.この論文では 257 例の臨床経過の換討で、74 例の死亡例の平均年齢は 32.0 ± 16.4 歳であり、そのうち死亡原因が判明している例の大半が心臓血管系の病変で亡くなったというものであります.多数例に基づくこの報告は当時から注目され、今日まで多くの文献のなかで引用されてきました.例えば、欧米からの報告では
A.E.Hirst.Jr.:Marfan Syndrome:A Review 1973年(文献2)
C.E.Anagnostopoulos:Acute Aortic Dissection:1975年(文献3)
J.Lindsay Jr.:The Aorta p7 1979年 (文献4)
J.J.Bergan:Aneurysms;Diagnosis and Treatment1982年 (文献5)
J.M.Giordano:The Basic Science of Vascular Surgery 1988年 (文献6)
 などの代表的な学術書に盛んに引用されています.またわが国でも
最新内科学大系 循環器疾患 動脈硬化と脈管疾患 p271 1991年 (文献7)
三島好雄編集:臨床脈管学 Marfan症候群 p229 1992年 (文献8)
高本真一編集:血管疾患を診る p166 1998年 (文献9)
 など主要誌に広く引用されて、マルファン症候群についてのスタンダードの平均予後とされてきています.拙著でも生命予後の標準的なものとしてその内容を用いた次第であります.
  私は長い間、心臓血管の研究、診療にたずさわってきましたが、マルファン症候群についても心臓血管の障害のために外科に紹介された数人の方を診療させて頂きました。拙著でも述べましたが、この病気では大動脈の修復縫合部がほころびやすく、手術もむずかしく、入退院を繰り返されるために、苦闘されています患者様とも次第に心情が伝わり、治療成績の改善のためにいろいろ苦労を重ねてきました。そしてこの経験のなかでマルファン症候群の生命予後は心臓血管系の合併障害と手術治療に左右されるものと考えてきました。このことについて多くを述べたいところでしたが、とくに生命予後に明るい兆しとなる遺伝子治療への期待と徹底した外科治療についてふれるに止まりました。
 また拙著では「平均寿命」、あるいは「死亡時の平均年令」という表現ではなく、「平均年令は30才前後といわれ、大半は心臓血管の病気で亡くなる」という婉曲な言い回しを致しました.記述が不明確であるとの御指摘を頂きましたが、ここに挙げられた年齢はこの病気に定められた寿命ではなく、これからすすむ医療の進歩とともに変わるものであるという考えから、敢えて寿命などの明解な記述を避けた事情を汲んで頂けますれば幸甚であります.
 近年、心臓血管外科領域では多くの研究が進み、次第に病気の本態に迫りながら治療成績も改善され、とくに手術成績が際立って改善されてきております.従いまして胸腹部の大動脈瘤や解離性の大動脈瘤を引き起こしやすいマルファン症候群の手術成績も改善されて、これから生命予後も良くなることが十分に期待されてきております.この分野の最近の報告を挙げますと、
D.L.Marsalese et:JACC 1989年 (文献10)早期の手術と手術成績の向上
R.Finkbohner et:Circulation 1995年 (文献11) 手術成績の向上
D.I.Silverman et:Am J Cardiol 1995年 (文献12) 診断法と手術成績の向上
J.Shores et: N Engl J Med 1994年 (文献13) 予防的薬剤治療の応用
 などのようにいくつか欧米の発表がみられています。
  しかしわが国の報告ではまだ症例数が少なく、明確な結論が出ていません.例えば 134 例という多数例の詳細な分析である能美伸子:脈管学(1987年)の報告でも、手術例の長期生存が指摘されていますが、生命予後の改善は明確にされていません(文献14)。私の居りました北大でも、安田慶秀ほか:日胸外会誌 1989 年に 2 例の手術経験(文献15)、さらに椎谷紀彦ほか:目胸外会誌 1996 年に大動脈亜全置換術として 3 回の手術の成功例を報告しています(文献16).これらの経験から生命予後の向上を図るために心臓血管病変に対して注意深い管理による外科手術の必要性が述べられています。
  同様な報告は最近になって続き、安藤太三ほか:胸部外科 1998 年(文献17)、あるいは伊鹿翼:胸部外科 1998 年(文献18)がみられ、北大でも安田慶秀ほか:胸部外科 1998 年(文献19)なかで、より徹底した手術によってマルファン症候群の成績が向上されつつあることが述べられています. しかし残念なことにまだ症例数が少なく、統計的に比較、分析されたものではなく、多数例の分析結果が今後に待たれる状況のために、拙著でも標準的な成績を述べることにしました.この判断が妥当なことは、前に挙げましたわが国の主要文献でも今日なお 1972 年の J.L.Murdoch(文献1)が広く引用されていることでもお判り頂けることと思います。
  この病気についての私の経験は限られていますが、心臓血管領域の研究を長年の間続け、とくに真性大動脈瘤や解離性大動脈瘤についてはささやかですが、斯界に貞献できたと考えてきました。文献 20 はマルファン症候群とも関係が深い解離性大動脈瘤について当時の文献を整理してまとめたものですが、 1980 年代の解離性大動脈瘤の診療に役立てられ、また同封の本「 Aortic Aneurysms 」は北海道大学を去るにあたって長年の成果を本にまとめたものであります。この基礎から臨床にわたる研究は多くの共同研究者とともに長年にわたって進めたものですが、その後これらの後継研究者が研究を一層堆進させて、前述のように最近では立派な成績を学会でも報告してきております。
 繰り返しになりますが、わが国でも最近、胸部大動脈瘤、解離性大動脈瘤の成績は著しく改善されてきました。これらの病気の治療成績とともに生命予後についてもこの 10 年間に大きく変わりつつあります。従って主な死亡原因として大動脈瘤などの心臓血管の障害を合併しやすいマルファン症候群においても同様の傾向であり、間もなく欧米の最近の報告のように長期予後からみて明確にされた良好な成績がでてくることが期待されます。
 このような状況からマルファン症候群についても生命予後を改善するために、早期の発見、診断、治療とともに慎重な経過観察、確実な手術の施行が必要であり、専門家による専門クリニックの必要性も指摘されています。このような医療側の努力や対応とともに、日常の生活において患者様が身体に細かい注意をされて合併症の発生を防ぎ、また友の会などの交流のなかで自らの体験を活かし語り合い、同時にわが国の現状にそった医療情報が伝えられることも、大切なこととされてきております。
 以上のように御質問について回答とともに、今日のわが国のマルファン症候群の医療の現状を説明致しました。さらにこの状況を御理解を頂くために、主要な文献を同封致しました。
詳細について御高覧頂けますれば幸いであります。
 この書状によって会員の皆様の御理解がえられるとともに御懸念が解かれますように、皆様の

御賢察を頂けますれば幸甚であります。
 末筆ながら MNJ 会をはじめ会員皆様の御多幸を祈念申しあげます。
「血管の病気」著者   田邊 達三

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