武野先生ありがとうございました

武野良仁先生の訃報に接し、常に個人の意見を尊重し、丁寧にお答え下さったお人柄を思い出しています。

暮らしの手帖の2001年10/11月号「自然気胸」のロングインタビューの中で、先生は次のように振り返っておられます。

 「常々おもうことですが、最近の医療は福祉をはじめ、すべてひじょうに患者さんの側にたった「優しい医療」になりました。これも、じつはこの10年の間の変化なのです。
 振り返ってみますと、1980年代は、医学もかなりハードと言いますか、積極的な治療法が優先されてきた傾向がありました。外科領域でもたとえばがんの手術では「拡大手術」といって、取れるものは出来るだけとるべきだという考えです。そこには患者側の立場はあまり反映されず、むしろ純粋な医学的見地からの発言力が強かったのです。しかしこのような傾向は、いま考えると、けっして医学面のみではないような気がします。
 80年代には、政治、社会、経済の面でも、世界的にこのような強者の理論が唱えられ、弱者への配慮がありませんでした。イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本では中曽根首相らの政策のもと、時代が要請した面が強いにしても、福祉は片隅に追いやられていました。
 それが1989年末ベルリンの壁が崩れ、ヨーロッパに民主主義の嵐がふきあれた90年代になると、政治、経済の面に、成長より成熟、競争より共生、開発より環境、といった「やさしさ」がひそかに現れてくるのです。
 この枠組みの変化が、実は医学、とくに医療の面でもみられるのではないかと、私には思えてなりません。その最たるものが、この内視鏡手術でしょう。これも、90年代になって急激に世界に普及し、30年も前から提唱してきた私には、やはり時代が早すぎたかといった感慨がわいてきます。
 この90年代になって医学界にもやっと、福祉、介護といった患者さんに「やさしい」医療が訪れました。私は、この全く違った領域での奇妙な一致が不思議でなりません。しかし今、この「やさしさ」というキーワードは、世界的に通奏低音として流れていることを感じるのです。
 内視鏡手術の将来ですが、ロボットを使う手術とか、僻地でもこの手術が受けられるような遠隔操作システムなど、すでに研究がはじまっています。とにかく自然気胸の治療がここまで進歩したことを、皆様とともに喜びたいと思います。」

 本当に、武野先生はじめ、どれだけ多くの方々のご苦労があって、今の治療法が確立されたのでしょう。
 MNJの活動も応援していただき、この3月にアンケートを作成している最中に偶然、武野先生から「マルファンと気胸の関係を学会で発表したいのでアンケートできないでしょうか?」と連絡を頂きました。早速ご指導いただき、気胸についての質問項目を入れたのですが、マルファン症候群について調査が進むことを、とても嬉しく思いました。
 このマルファンと気胸についての論文発表は2001年9月初旬の予定でしたが、武野先生はその数ヶ月前に入院されました。一時退院をされた8月半ば手術を控えてお忙しいにもかかわらず、事務局にお電話くださり、病状についてお尋ねしますと「幸い私の専門の病気なので、良い先生に恵まれて幸運です。無事に帰ってこられると良いのですが。」とお答えになりました。最期病床には、学会発表用に、ほぼ完成間近の論文とスライドがあったそうです。今年の発表は結局断念せざるを得なかったとのこと、非常に残念でした。
 しかし、このたび武野先生の奥様の御好意で新しい気胸専門の先生を紹介していただきました。北海道の先生なのですが、先日連絡いただきまして「武野先生の遺志を継いで、是非来年は論文発表しましょう」と心強いお言葉をいただきました。私たちにとって、こんな嬉しい事があるでしょうか。武野先生の責任感の強さがみんなを動かしているように思えます。

 武野先生、気胸治療の発展のため、私たちのため、本当にありがとうございました。
MNJ会員一同、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

(文・発起人)

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