マルファン ネットワーク ジャパン
感想コーナー
MNJに寄せられた感想や手紙などの掲載を始めました。 >感想やお手紙はこちらまで。

2002/9/25 上林 志計弘さん
私はマルファン症候群(MF)のため心臓内に洋梨状の動脈瘤ができたためベントール手術(BT)を受けてから24年になります。つい先日MNJがあることを知り、BT後も長生きしている者がいることを知って戴き、MFでお悩みの方を少しでも勇気付けることができればと早速入会させて戴きました。これからBTを受けられる方は勿論のこと既にBTを受けられた方も、一体BT後どれくらい長生きできるのか、生活はどうなるのかということは一番気になるところではないかと思います。

私は昭和13年4月生まれの現在64歳の男性で2002年8月でBT後実に満24年になりました。大動脈弁閉鎖不全のため豊中市立病院へ入院、症状は悪くなるばかりで心臓カテーテル検査を受けることになり心臓内の大動脈基幹部に7センチの大動脈瘤(現病名=大動脈弁輪拡大症)があることが判明MFと診断され、病院始まって以来2人目の患者と言われました。入院中に「心臓の専門百科」という新刊が出たのでさっそく買ってきて読んでいたためMFの名前ぐらいは知っていましたが「発病すれば予後不良」となっていたので目の前が真っ暗になりました。

心臓外科部長から阪大病院の川島康生教授へのご紹介状を戴き、藁にもすがる思いでご診察を受けましたところ持参したX線写真をご覧になると即座に「手術する」とおっしゃられた時は「ひょっとしたら助かるかもしれない」と目の前がぱっと明るくなりました。その後2ケ月ほど後に阪大病院へ入院、BTをご執刀して戴く事になりましたが入院後まもなくかなりの糖尿があることが判明。当時は糖尿の患者に人工心肺を使用しても差し支えがないのかがよく分らなかったため、まず糖尿を抑えることになりこの治療に1ケ月を要しましたが1978年8月4日(昭和53年)40歳の時に川島康生教授、森講師(後、鳥取医科大学教授)、北村惣一郎講師(現、国立循環器病センター総長)にBTをご執刀戴きました。

9月3日に退院しましたので術後ちょうど1ケ月で退院できたことになります。術後に微熱が続いたため先生は感染症を心配されたようでしたが微熱が出なければ1週間は早く退院できたようです。退院後は1ケ月ほどで会社復帰もできて前と同じ設計の仕事をしていましたが、90年5月に母を80歳で見送ったあと高齢の父を一人残して会社へ行くのが心配でならないため、6月には32年弱勤めた会社を52歳9ケ月で退社。2年後の92年12月には父も90歳で亡くなったため現在は一人暮らしをしていますがBTのため大動脈弁が人工弁になっているので心臓障害1級の身です。

BT後、心臓内に動脈瘤のできた者はその50%が腹部にも動脈瘤ができるので必ず定期的に検査をするようにと言われていたので2年に1回CTを受けていましたところ91年に腹部に動脈瘤が見つかりました。その後はCTも6ケ月に1回となり経過を観察していましたところ、腹部大動脈瘤(まだ拡張程度)、右総腸骨動脈瘤、左総腸骨動脈瘤、左内腸骨動脈瘤と動脈瘤の数も4ケに増え、右総腸骨動脈瘤と左内腸骨動脈瘤が危険な大きさになったため98年1月人工血管との置換の手術をして戴くために国立循環器病センターに入院。入院後すぐに二人の先生がこられ最初に言われたことは「こんなところに動脈瘤があるのがどうして分りましたか」と言われ「あなたは非常に運のいい人ですよ、ここは分らないのでほとんどが手遅れになる」と言われました。私も全くその通りだと思います、何しろ腹部に動脈瘤を4ケも抱え、しかもその内2ケが既に危険な大きさになっているのに全く自覚症状がなかったのですから。

10日ほど後、大北裕心臓血管外科医長(現、神戸大学第2外科教授)のご執刀により腹部大動脈、左右総腸骨動脈をY形人工血管と置換、左内腸骨動脈瘤は手術不可のため左内腸骨動脈を閉鎖。ところがこの時の心筋シンチで疑問が出たため術後にカテーテル 検査を受け、冠動脈に99%の狭窄が見つかったため引き続いて同年2月、PTCAで冠動脈狭窄部をバルーンで広げて戴くことにな りました。BT後19年もたっているので冠動脈にうまくカテーテルが入るのか心配でしたがPTCAもスムースに終わりました。BTとPTCAの両方をして戴いた者は日本でもそんなにはいないのではないかと思っています。

左内腸骨動脈を閉鎖したため左臀部が大きく腫れ、術後は後遺症に悩まされ30メートルも歩くと左臀部から左足全体が強いだるさに襲われるため、ちょっとした歩行にも困難をきたしていましたが現在は日常生活には支障がないまで回復しています。3〜4年ほど前から体調不調の日が多くなり最近はほとんど1日中テレビを見ているかパソコンをしていて、外出するのは通院と買い物の時だけの生活をしているため運動不足のうえ加齢的なこともあり、歩くと足と腰に負担がかかるため飛んだり跳ねたりはできませんが、時々不整脈に悩まされる以外は胸が苦しくなったりしたことは今まで一度もなく、現在も誰の助けも借りずに日常生活ができるため外見上は健常者と見分けがつきません。

大きな出来事としては、BT後10年目の50歳の誕生日前日に会社で強い不整脈に襲われ床に倒れこみ救急車のお世話になり、 この時は死を覚悟しましたが何とか乗り切ることができて現在に至っています。MFのため78〜98年の20年間ほどで実に5ケの動脈瘤を手術して戴いたことになりBT後24年も長生きをさせて戴いていることになります。1年や2年なら延命という言葉が適当かも知れませんが24年にもなると全く新しい別の命を戴いたものと1日も感謝の気持ちを忘れたことはありません。

少しでも健康のためになればとBT後間もなくバードウォッチングと野鳥撮影を始め、BT後1年目頃に比良山の探鳥会に参加しました。探鳥会なのでぶらぶら鳥を見ながら歩くのですが、それでも山道なので術後の私には負担が大きく、少し歩くと心臓がドキドキするのでその都度立ち止まって胸が落ち着くのを待ってからまた歩き出すということを繰り返しながら何とか頂上までついて行くことができました。その後、対馬と乗鞍岳へ2回、舳倉島と富士山五合目へ3回、九州荒崎へは4回野鳥撮影に行っています。また、93年から2000年までは毎年延べ10回北海道(主として道北)へも野鳥撮影に行っています。96年には天売島へも渡ましたが、さすがに心臓障害1級の身で一人で北海道の離島に渡るにはそれなりの覚悟で行きましたが。93年の初めての北海道行きはJRでしたが94年以降の9回はマイカーです。定期診察のために一度帰ってからまた北海道へ行ったことも2回ありますがこの時は体よりも交通費の方がこたえました。この間北海道での宿泊日数は130日でこのうち14日はマイカーでの車中泊です。また道内での走行距離は15,000キロ以上にもなりましたが全てが一人旅です。私のホームページ「野鳥とり物帖」に使用した写真は全てBT後に撮影したものです。

現在は国立循環器病センターで坂東興心臓血管外科医長に2ケ月に1回の定期診察をして戴いておりますがMFと同時に糖尿も 発病したため糖尿病歴も24年になり、時々心臓ではなくて糖尿が命取りになるのではないかと思うことがあります。日本の心血 管外科の技術は世界のトップクラスです。私は日本に生まれたことに感謝しています。日本に生まれたからこそ世界のトップク ラスの心臓外科手術をしかも健康保険で受けることができこの歳まで長生きさせて戴いているのだとも思っています。また私は 大変な幸運に恵まれていたとも思っています。24年も前にMFと正しいご診断をされた豊中市立病院の先生にお会いできたこ と、さらにこの先生に最高の技術を持たれた心臓外科の先生をご紹介戴いたこと、私がBTをご執刀戴く前に既に阪大でも数例 の実施例があったこと、冠動脈狭窄が99%で見つかったことなど幸運の上にも幸運が重なったものと思っています。もし最初の 一歩が誤っていたら、とうの昔に動脈瘤が破裂して今の私はなかったことでしょう。私見ですが、大動脈弁閉鎖不全の症状のあ る方は、単に弁膜症だけなのか、あるいはMFのため大動脈弁輪拡大症に関係しているのかを正しく診断して戴く必要があると 思います。

私は自分がMFであることを隠してはいません、自慢するほどの病気ではありませんが他人に迷惑をかけるような病気でもない からです。MFであることで落ち込むよりも、日本に生まれたため最高の医療を受けることができること、私のようにMFと二人 三脚でBT後24年も長生きしている者がいることを知って戴くことでMFでお悩みの方を少しでも勇気付けることができればと投稿しました。最後に付け加えておきますとMFを克服して長生きするために一番大事なことは何と言っても良い先生に巡り合う ことです。
 
2002/3/28 いきるさん
お世話に成ります。早速入会させて戴きます。
パソコンを持っておりませんので会による情報を知る事は出来ないのでしょうか。
私は2年前に東京の三井記念病院でマルファン症候群と云われ、その時年内手術という事でしたが経過をみながら今日迄きましたが、気持が悪く少しづつ症状が出てきていますので3月から休職し手術を考えています。
姉は56才の時に大動脈弁閉鎖不全症といわれ弁の交換のみで術后1年半で大動脈の解離で去年亡くなりました。埼玉の病院でしたが、手術の説明の時上の方が太いのが気になる。でもこれをやると大へんだからやりたくないと云った先生の言葉、そして術后の説明であの太いのは生まれつきでしょうね。かたかったからそのままにしておきました。と云った先生の言葉に安心していたのですが……。姉はずっと長生きをしたいからとマルファン症候群という患者の事を知らない先生に全幅の信頼を寄せて手術に希み、残念な結果にくやまれます。知らないという事は本当に恐ろしい事です。姉の分も生きよう。生きなくてはいけないという気持ちで一杯です。
会員の方達は術後どれ位で社会職場復帰をしているのでしょうか。日々の生活の中でどんな事に気を付けておりますでしょうか。不安で一杯ですがぜったい生きるんだという強い気持ちで頑張ろうと思っております。どうぞ宜しくお願い致します。
 
2001/12/18 ナオミさん
我娘がマルファン症候群です。医師より情報が余り無く情報を収集しておりました。
少しだけ理解が出来ました。我子は、染色体9番トリトミーと病名を持っています。
これからも、解り易い情報をまっています。
 

会の紹介感想コーナー
 
MNJトップページマルファン症候群について会の紹介会員ページ